ディア・ドクター

平成の大合併の号令から外れた村は、この映画のように日本のどこかに存在するかもしれない。人口1500人で、半分以上が高齢者という山奥の村は都市部と離れている。距離的にも社会資本の整備という点でも、相当の格差があるはずだ。その格差の壁の向こうでは、医者としての資格は村人の信頼に答えられるかどうかが問題だ。西川美和監督・原作・脚本で作られたこの映画は、医療格差という地方ならどこでも起きる問題にユーモアと悲しみで作品にしてしまった。

長く無医村だったが、村長の尽力によって医者がやってくる。伊藤治(笑福亭鶴瓶)は、村人から絶大な信頼を得ているがどこかに謎を秘めている。村人から感謝されて顔が笑っていても、目が冷めている。映画の冒頭は、彼が失踪したところから始まる。しかも、医者の象徴である白衣を捨てて失踪している。つまり、村唯一の診療所の医者だった伊藤の大切なものは、白衣ではないのだ。

これがこの映画の一番重要な点で、医者という資格がなくても人の命を救うことが可能ではないかと監督は言いたいのだと思う。大都市の大病院では最新の医療が受けられるが、死ぬことを防ぐのは無理だ。たとえ医者がいないような無医村でも、この映画の設定のように心温まる医術を受けられるかもしれない。金儲け主義の病院に入院したら、薬漬けにされるかもしれない。また、市民病院がなくなってしまう事例も数多い。

多少編集面で、2時間を越える上映時間になってしまったのが残念だ。もう少し、短くできたかもしれないが、見る価値は充分にある。ラストまでしっかりと見ると、救われるシーンがあるのでお勧めである。VFXの派手な映画と対極にあるこういう映画も、たまには見て欲しい。ゴロゴロ。

伊藤治(笑福亭鶴瓶)が失踪したのには、理由があった。村人を偽り続けて、医者を続けてきたが限界が来てしまった。東京の医大を卒業してやってきた研修医相馬啓介(瑛太)を登場人物に加えたのは、若い医師の考え方を描きたかったからだ。そして、鳥飼かづ子(八千草薫)を伊藤が診る事にしたのは、やがてやってくる破綻を予感させる。

ましてや、彼女の夫が気道を開いて呼吸器をつけて闘病して亡くなった設定は、最新の医療の冷たさを感じる。そして、かづ子の娘が大都会で勤務医をしているりつ子(井川遥)とは、できすぎた設定だと思う。一年に一回帰郷できるかどうかという忙しい都会の勤務医の実態も、この映画のテーマになっている。刑事たち二人の捜査の様子も、どこかの役所の対応と似ている。

アメリカの医療ドラマのような派手さはないが、こういう日本的な風景の中で展開される医療を題材にした映画は我々に真実味を与えてくれる。余貴美子演じる看護師が、大変経験と知識が豊富なのも日本の実態を反映している。これだけの内容の映画を、一人で作ってしまう西川美和監督はすごいと思った。



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この記事へのコメント
はじめまして。通りがかりです(^^;)映画は、見る人によって色々と意見も異なるでしょうが、自分は、この映画についてはあなたとは全く違う見方をしてしまいました。この映画は確かに医療を題材としていますが、物語の本筋のテーマは医療問題とかではないように思います。
偽物でありながら、村民に感謝され続ける偽医者。自分が医者だというのは嘘であっても、それは単純に、間違っている、罪だ、と言い切れない。村人は真実を知らずにいた方が幸せなのかも。
同時に、癌という真実を嘘で隠して生きていく、それも嘘なのだけど、相手にとっては真実は知らない方がいいのかもしれない。
そんな嘘と真実の合間に挟まれた鶴瓶演じる医師。彼の葛藤を中心に、「世の中には、偽物と本物、正義と悪では単純に分けられないことがあって、それを決めるのは、そのもの自身でなく、周りの目でしかない。それも立場によって見方は逆転してしまう」といったことが、監督の言いたかったことではないでしょうか?
自分はそう感じました。またこの映画を見られることがあれば、少しでも自分の意見も考えつつ見て頂いたら幸いです。長々と失礼しました。
Posted by こが at 2009年07月30日 04:54
こがさん、コメントありがとうございます。
わてもこがさんと同じようなことを思いました。
文章にするとなると、全部書ききれないのでそこが悩みの種です。
ゴロゴロ。
Posted by とらちゃん at 2009年07月30日 07:41
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