駆込み女と駆出し男

井上ひさしの小説「東慶寺花だより」を原案に、原田眞人監督が脚本も担当して映画化した作品だ。江戸末期、夫が妻と離縁することは簡単だったけど妻から離縁することは難しかったという前提で描かれた映画で、人情味あふれる内容になっている。横暴な夫と謙虚な妻という組み合わせで日本人の心に響くセリフ回しがすばらしい。ロケーションもしっかりと研究されていて、まさに芸術作品のような内容だった。でも、この映画で描いている内容は明治維新以降の男尊女卑の家族制度を批判しているものなのだ。

映画では天保の改革の最中の設定になっているけど、専修大元教授の高木侃氏の解説によるともう少し早い時代の設定だという。江戸時代の末期には蚕などの現金作物の普及で女性が強くなっていた。働き者の女性は現金を持つようになって、離婚率は相当高かったという。さらに縁切り寺は各地にあったので、男性が少しでも不始末をすると駆け込まれてしまうのだという。なぜ井上ひさしがこのような小説を書いたのかというと、明治維新で縁切寺が廃止されてしまい家族制度が確立した。その影響は共働きが当然となった現代まで続き、女性の地位を低くしてしまったからだという。

明治維新で縁切寺が廃止されてできたのは、男性を支えるのは女性だという男尊女卑の考えだった。妻は家庭で家族を守り、夫は外に出て働くというものになった。それは西洋の文化をそのまま持ってきたことが原因かもしれない。女性は参政権を与えられない状態が続き、男性中心の社会になった。まさにそれは、この映画の鉄練のじょご(戸田恵梨香)が夫よりも仕事ができても立場上は、男性を支える立場であることと似ている。お吟(満島ゆかり)に至っては、労咳(結核)になっているのに堀切屋を支え続けて、夫(堤真一)は商いに熱心ではない。また剣術指南の家に生まれたゆう(内山理名)は、夫を惨殺されてその相手と夫婦になっている。

じょごの夫は妾に入り浸りで、仕事もしない。そんな夫は放置して、東慶寺に駆け込むのが一番だろう。東慶寺のシステムは実に合理的だ。現代のストーカー被害もこのような仕組みがあれば防げるかもしれない。映画の物語は本当に現代に通じる。じょごの夫はヒモだ。お吟とゆうの夫は犯罪者だ。そんな夫を持ったら、おちおち安心して眠れない。その所業が治っていないのがまたいけない。主人公の中村信次郎(大泉洋)はいつまでも自立できない男性だ。能力はあるし役立っているのに、自信が持てないのでいつまでも見習いと称している。そんな信次郎の背中を押すのが、じょごになる展開が粋であった。

女性ばかりの尼寺に医者の信次郎が診察に来るシーンが面白い。想像妊娠の女性を説得するシーンもなかなかの見応だった。家康公由来の東慶寺を潰そうとする老中は、さながらどこかの国の過激派だろう。セリフが非常に長いけど、全然無駄になっていない。どのシーンも絵になっている。薬草を育てるじょごの姿は農学部の学生のようだった。出てくる男性たちはわがままで、幼く見えた。それに比べて女性たちのたくましさは、本物だった。どのエピソードも泣けるものばかりで、すばらしい。じょごと信次郎の関係が理想の夫婦像だと思った。星5個。

トラックバック URL
http://torachangorogoro.blog.fc2.com/tb.php/244-e4dabb45


高木侃関連本:江戸時代の離婚について






同じカテゴリー(2015年映画)の記事
母と暮らせば
母と暮らせば(2015-12-16 22:59)

海難1890
海難1890(2015-12-12 21:25)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
駆込み女と駆出し男
    コメント(0)