果てぬ村のミナ
静岡県西部地方、北遠と呼ばれる地域は天竜川のめぐみと太陽のおかげで豊かな森が存在する。悠久のかなたから人々は山深く入り込み、厳しい斜面に張り付くように生活してきた。人間は山の幸を必要なだけ使い、自然と共存して暮らしてきた。現代の世になって人々は産業を起こしてその場で生活をしている。人間の寿命は80年としても、自然には無限の時間がある。限界集落などという言葉があるけど、それは人間の存在だけしか考慮されていない。その水窪・佐久間地区でロケをした地域発の映画で、瀬木直貴が監督した。
この映画の物語は、人間の時間と自然の営みが必ずしも同じタイミングで区切られていないことをファンタジー的に描いている。18歳で高校を卒業して進学したり就職する。地元に残る若者もいれば離れるものもいる。猫や犬の一生が人間よりも短いのは周知のことであるけど、人間よりも長い寿命を持つのが樹木だろう。樹木の発する言葉が理解できて、自然の声を聞くことができる人間が存在したらどうなるだろうか。おそらく、気味悪がって受け入れらない。
天空に近い天音(あまね)村上ノ集落は、豊かな自然に囲まれているけど年配者が多い。唯一高校生の耕助(石川湖太郎)は、茶を栽培している父悦司(小市慢太郎)と祖母ハル(渡辺美佐子)と暮らしている。耕助は、瑠璃(木下かれん)と聡(TIKARA)の同級生とバンド活動をしている。村のお祭りでステージに立つのが目標だが、ボーカルの耕助の音痴が難点だった。その耕助の家の上にある空家に、祖母と孫の家族が越してくる。村の老人たちの話では、60年ぶりの帰郷だという。
やってきたのは、松下神菜(ミナ:土屋太鳳)と祖母フミだった。耕助たちと同じクラスに転入したミナは、歴史や国語が抜群にできた。ギターを弾きながらボーカルの練習をしていた耕助は、ミナに「ギターはうまいが歌はね」と言われてしまう。同じクラスで転校生に関心を持ったのは、耕助だけだった。自転車通学している耕助の家の上に住んでいるのに、ミナは古い山道を歩いて通っている。おかしいと思った耕助はあとをつけていくと、同じようにミナを追っている雑誌記者がいた。その記者はミナの素性が怪しいと睨んでいるのだけど、でっち上げの記事が得意な胡散臭いやつだ。
ミナの素性をDNA鑑定までして暴こうするが、東京のデスクに採用されない。そこで彼は、耕助の父の茶畑が黒い雨で汚染されているとデタラメの記事を新聞に載せてしまう。このあたりの設定が有り得ないだけど、主役の土屋太鳳(つちやたお)が不思議な存在感を放っている。もう統合されてなくなってしまう二俣高校の制服を生徒が着ている。ロケ地のお祭りは住人総出で盛り上げた。この物語は日本中どこにでも有り得る。自然の力に比べれば人間は非力だ。でも、人間には文化を言葉にして伝えることができる。
公式ホームページ(果てぬ村のミナ)。
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