Ray レイ
2005年2月2日 16時37分
1930年にジョージア州で生まれ、2004年6月に亡くなったソウルミュージックの神様レイ・チャールズの苦難の半生を描いた力作だ。グラミー賞を12回も受賞し、ジャズ、R&B、ロック、ゴスペル、カントリー&ウエスタンなどの分野に多大な影響を及ぼしてきた。レイ・チャールズ役には、子供のころからピアノを習っていたジェイミー・フォックス、監督は「愛と青春の旅立ち」のテイラー・ハックフォードだ。
本人に取材をして役者探しなど企画を実現し、実に製作まで15年を費やした。偉大な人物の半生記というと綺麗事の列挙で終わることもあるが、この作品は彼が経験した一番つらいことを克明に描くことで実際の音楽活動にどう結びついたかを丁寧に表現した。これは、まさに魂のこもった傑作だ。
1930年、ジョージア州で生まれたレイ・チャールズ・ロビンソンは貧しい家庭に生まれ、弟ジョージと母アレサと3人で生活していた。6歳の時に、洗濯物用の洗い桶にはまったジョージを助けることができず死なせて仕舞う。そのショックは、彼の心に生涯傷を負った。そして、目の病気で徐々に視力を失い7歳で失明する。母アレサは、「盲人だから、何かをできないことがないように生きろ」とレイに強く躾ける。
失明の恐怖と戦いながら母の教えを守り、レイは盲学校に入れられる。5歳から始めたピアノを真剣に練習して、それだけで生きようと決心していた。そして、17歳の時にアメリカの南の端のフロリダから、一番北西にあるシアトルまでグレイハウンドのバスで向かう。その時には、黒人席は隔離されていたが運転手にベトナムで負傷して盲人になったと言って、面倒を見てもらう。
1948年シアトルに着いたレイは、才能を認められあるバーで出演するようになる。しかし、そのバーの経営者に家賃を体で支払わされてしまう。そんな境遇に自ら別れを告げて、各地をバスで回るバンドに入る。その後、アトランティックレコードと契約しヒット曲を量産するようになる。妻になるデラ・ビー(ケリー・ワシントン)に出会い、すぐに結婚する。その喜びを歌にしたのが、ゴスペルとR&Bを融合させた「アイヴ・ゴット・ア・ウーマン」になる。でも、その頃から麻薬に手を出すようになる。そして、自分の女性コーラス・レイレッツのメンバーとも男女の関係を持つようになる。
メアリー・アン・フィッシャーという愛人ができれば、「メアリー・アン」という曲を作るし、女性と別れる時には「アンチェイン・マイ・ハート」を作り妻の元に帰るという具合だ。もちろん、簡単に女性と別れられる訳もなく、マージーという愛人とは子供ができてしまい泥沼の争いをしている。養育費を払いながら、家族には内緒にする。1959年に、アトランティックから大手のABCに移籍した時は古いスタッフから嫌味を言われる。
1960年には「我が心のジョージア」を発表しグラミー賞を受賞するが、故郷のジョージア州には黒人差別を理由に公演を拒否すると賠償金を請求され、州から追放になってしまう。また、65年には遂に麻薬密輸の罪で捕まり自ら厚生施設に入る。その施設での壮絶な闘病生活が、実に丁寧に描写されている。このシーンがあることによって、この映画が並みの人物伝物とは違う所以だ。
映画は、「我が心のジョージア」がジョージア州議会で州歌に認定されるシーンで終わる。まさに、最高の盛り上がりでエンディングを迎えるのだ。全編に流れる最高のミュージックをからだ全身で体感するには、音響設備の整った映画館で見て欲しい。そして、エンディングクレジットを最後まで見ていて欲しい。魂の乗り移ったようなジェイミー・フォックスの演技は、最高だ。何回見ても、楽しめる傑作だ。
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