ブラタモリ  水の都ローマ

とらちゃん

2019年01月19日 20:14

トレビの泉に来ている。

ローマ県の観光ガイドが案内している。泉が500くらいあるという。
古代ローマは地中海の世界として繁栄していた。2000年前だけでなく、今も栄えている。
飲める水がそこらじゅうに出ている。流しっぱなしになっている。2500箇所ある。1874年に設置した。
1530万人の観光客が来る。ローマは水なしにしてならず。

古代ローマ時代の水道橋に来た。2000年前の水道の遺跡だ。80km離れた場所から運んだ。国立ローマ史研究所の方が案内している。凝灰岩だ。ペペリーノと呼んでいる。頑丈だ。毎秒4トンの水が流れていた。緩やかな勾配があった。水路の勾配を一定には持った。
クラウディア水道と新アニオ水道、など4個の水道があった。2000年前のローマの人口は100万人以上だった。インフラ整備で権力を示していた。
水道橋の門の断面にある丸い穴はなんでしょう。マルクス・ロバで粉を作る。パン屋だった。奴隷から大金持ちになった人だった。3世紀の終わりゴロ大きくこの状況が変わった。砦になっていた。異民族の襲撃に備えて城壁になっていた。ローマの街中まで攻めてくる蛮族が出てくるようになった。繁栄の象徴だった水道橋が砦になった。

古代ローマ時代に1千リットルの水を使っていた。ダニエラ・パオリーニ考古学者は、公衆浴場が大量に水を使っていた。熱いお湯、ぬるいお湯、水の風呂もあった。お風呂の施設の中に劇場もあった。浴槽、公園、劇場、図書館があった。運動する広場もあった。

ローマから首都を移転した。戦争や伝染病で廃墟になっていく。紀元後6世紀には人口が3万人まで減ってしまった。1000年も衰退期をへる。教会の力で蘇る。ローマ教皇がバチカンを作り、ミケランジェロが再生させた。浴場をリフォームして教会にした。残された古代の浴場の構造を利用して。花崗岩の柱は動かしようがない。1000年を経て教会として蘇った。
スペイン広場にやってきた。ローマの休日に出てくる。オードリーがジェラードを食べていた。今は食べてはいけない。
バルカッチャの噴水がある。ルネサンス以降にたくさん噴水が作られた。
水の恵みこそが繁栄のシルシだから、噴水をたくさん作った。
マクア・ディエゴ

ローマの休日は観光映画だという。
パトリック・デュー一クさんが案内人だ。水道に入っていく。117段の階段がある。地下25mだ。処女の水道だ。何度も修復が行われたので今でもきれいだ。20kmの長さがある。天井の補強をしている。多くの皇帝や教皇が修復した。1742の年号があった。
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