笑の大学
2004年11月2日 17時55分
演劇界でキャリアを積んで映画の脚本も相当数こなしてしる三谷幸喜が、自らの舞台作品「笑の大学」を星譲監督とコンビを組んで映画化した作品だ。舞台版の方は、ラジオドラマから始まり1996年に初演され読売演劇大賞最優秀賞を受賞している有名な作品だ。そして、ロシア語に翻訳されロシア全土で公演されたという。舞台版は、登場人物が二人だけというおもいきった設定だ。まさに、台詞の言い回しはすばらしいのだろう。わては三谷幸喜の新聞のコラムを読んでいるが、その文章はさすがにうまい。そして、今回映画のために本を書き直したという。出来上がった映画は、最初は笑わしておいて最後は泣きで落として観客を泣かせるというすばらしい作品になった。
モデルになった菊谷栄は、日本の喜劇王といわれる榎本健一の浅草オペラ時代の座付き作家だったのだ。1902年に生まれた菊谷は、26歳でエノケンに知り合い28歳頃から座付き作家として活躍し、エノケンの舞台を支えた。そして、35歳の時に召集されわずか2ヶ月で戦死してしまう。戦後、エノケンが紫紋褒章を受賞したときも「菊さん、これは君がもらったようなものだ」と言わせたという。映画は、椿一(稲垣吾郎)という座付き作家と検閲官向坂睦男(役所広司)の喜劇の台本をめぐるやり取りを中心に描かれている。
そのやり取りがおもしろいのだが、書き直しをするほど台本がおもしろくなり検閲を皮肉っている。また、国家総動員法の趣旨に沿わせさせようとするほど、逆に喜劇としてのおもしろさが増す。この軽妙な台詞のやり取りは、抜群の間とカメラワークで見せてくれる。そして、最後には検閲官向坂の内面がが徐々に変化していき、脚本作りが共同作業になっていく。出来上がった芝居を見ることはできないのだが、エンディングクレジットを最後まで見ているとそのおもしろさは想像できる。
連続7日間の書き直しで、台本は出来上がる。でも、最後の最後で椿は本音を漏らしてしまい、向坂の怒りを買ってしまう。何回も書き換えてもよりおもしろいものにすることで、権力への抵抗をしているのだと言ってしまうのだ。これですべては、元のもくあみだ。椿は若すぎた。表と裏を使い分けるべきだった。それで、向坂は笑いのない台本を書いて来いと命令する。覚悟を決めた椿は、一晩で本を書き直してくる。
でも、椿が書いてきた台本は西洋の言葉も接吻のシーンもなく、要求どおりの台本だったが今までに書いた中でも一番面白い作品だった。椿は赤紙を受け取っており、その劇が上演されない前提で持ってきたのだ。命と引き換えに、最高におもしろい台本を書き上げた椿の心意気は最高の作家魂だ。この映画では、向坂が台本を預かるというラストになっているが、それはどちらでもよかった。
ペンは銃よりも強しという言葉を思い起こさせる、すばらしい映画ではないか。何よりも笑うことで人間は元気になれる。我々は、その笑いを制限される時代を二度と体験したくない。
関連記事