世界ふしぎ発見  戦国三英傑 信長・秀吉・家康 その時歴史はカネで動いた

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織田信長と家康は3000兆の火縄銃を持って、長篠の戦いに出陣した。

信長は楽市楽座という経済方式を作っていた。組合を廃止して誰も商売ができるようにした。

アダム・スミスの100年以上前に、城下町を作っていた。米中心の経済とは違うものだった。

戦国武将のカメに入っていたのは、永楽通宝がいっぱい入っていた。260貫、2600万円くらいに当たる。

信長の時代に貨幣経済が広まっていた。
三択です。
びた一文負けない、しこたま儲けた、たかが知れている。びたが正解です。私鋳銭というのが入っていた。びた銭10枚で永楽通宝1枚と交換できた。

秀吉が大事にしていたのが、人材の確保だった。五人ぶちの給料をありげんばという人に出しなさい。天正10年の備中高松城を攻めていたときの話だ。その後、本能寺の変が起きた。200kmの道を6日間で帰ってきた。秀吉は姫路城に寄る。有り金全部兵たちに配れと三成に命令する。66億円とも言われる金額だ。全財産を見せたことが大事である。まだあるかもしれないから手加減することもない。10日間で戻ってきた。

大阪城の金箔は京都からも見えたとも言われる。金の茶室もある。農民でもあれだけの地位になれるかもしれないと思わせる。
当時の日本は黄金の国だった。
菱刈金山が稼働している。1トンに30~40gの金が含有されている。

金は火山に関係しているので、火山がたくさんある日本で取れる。灰吹法が普及したので、金山から金が取れるようになった。
温泉はナトリウムだ。

天正大判を作らせた。安定した経済政策と金山経営。
秀吉は褒美として最新の道具はなんでしょう。そろばんを褒美として与えられた。謎のそろばんだったけど、黒田二十四騎伝からわかった。

駿府城に家康の銅像がある。

徳川家康のにがみ像という絵がある。家康は短気だったという説もある。

大御所花見行列が行われている。三河の武将たちだ。自らの家臣に大金を与えることはなかった。

もともと人を助けたいと思ってやっている人は、お金をもらえるとなったら意欲が落ちる可能性がある。
三河から江戸に配置換えになる。江戸の都市計画を勧めた。利根川の流れを変えた。家康は250万石、秀吉220万石とも言われていた。

秀吉の遺産を引き継いだ秀頼は金持ちだった。大阪の陣で豊臣家を滅ぼした。
大きなふたを開けて、地下に入っていくと当時の大阪城がある。縦穴は7mもある。
初代大阪城の石垣は、6mの高さがあった。焼け跡から秀吉の遺産を持っていったという。

家康は金品を部下にばらまくのではなく、違うことをした。
本能寺の変のときに、逃亡中おかゆをごちそうになった百姓に送ったものはなんでしょう。
浜松市に祖先が住んでいる。小粥(おがい)という名字をもらった。家紋はお椀に箸が二本横切っているものだ。

天下を取る人は奇想天外な方法で人々を楽しませていた。


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