ロング・エンゲージメント

2005年3月18日 20時37分
「アメリ」の監督ジャン・ピエール・ジュネとオドレイ・トトゥのコンビで作られた、第一次世界大戦ヨーロッパ戦線の元で別れ別れになった若い兵士とその婚約者の再会するまでの物語だ。「アメリ」のようなファンタジーのやさしさは映像にはなく、映画の冒頭から過酷な戦場の真っ只中に放り込まれる。

現実感溢れる戦場の過酷な描写が続き、行方不明になった兵士マネク(ギャスパー・ウリエル)を探すマチルダ(オドレイ・トトゥ)の捜索の様子と二人の出会いの様子が所々に挿入されて、緊張感溢れる物語が展開する。原作は、セバスチャン・ジャプリゾの「長い日曜日」だ。映像の真実味が際立っていて、物語に説得力を与えると共に、そこに登場する人間たちの必死な生き様も見るものを圧倒する。

1914年に始まった第一次世界大戦も硬直状態に陥っていたヨーロッパ戦線、1917年のフランスの最前線での話しだ。土砂降りの雨の中を5人の兵士が、連行されていく。彼らは自分の手を銃で撃ち戦闘遺否行為で、軍法会議にかけられ死刑を宣告された。そして、軍の上層部の意向を無視した現地の司令官の勝手な処置で、敵と味方が向き合っている中間地帯に武器もなく放り出される。その中の一人に、マチルダの恋人マネク(ギャスパー・ウリエル)も含まれていた。彼らが生き残る道は、ひたすら飛び交う銃弾を避けるしかなかった。

そのうちに戦闘はますます激しさを増し、フランス軍は塹壕を登りドイツ軍の待ち構える地面の上に出て突撃する。でも、ドイツ軍の構える機関銃の前にバタバタと人が倒れていく。その混乱の中で、放り出された5人は行方不明になってしまう。そんな激しい戦闘の映像の合間に、子供の頃のマチルダとマネクが出会った頃の様子や、恋人同士になった17歳頃の楽しい様子も挿入される。

それから3年後の1920年、マネクと同じ戦場にいたというエスペランザ(ジャン=ピエール・ベッケル)から手紙が届く。マチルダは、さっそく彼に会いに行くが中間地帯に放り出されてどうなったかまではわからないと説明される。でも、5人の遺品を渡されて手がかりを得る。マチルダは、子供の頃小児麻痺に掛かり、足が不自由だった。そして、両親は小さい時に事故で亡くなっていた。そんな障害を持ちながら、マチルダはマネクと恋に落ちて普通の少女と変わりなかった。また、おまじないや変な願掛けをするのが癖だった。この辺は、アメリと同じだ。しかも、寂しい時にはチューバを吹く趣味も持っていた。

マチルダは、マネクガ死んだと信じられずパリに出て行く。そして、怪しい探偵ジェルマン・ピールを雇って本格的に調査を開始する。すると、数々の驚くべき事実が明かになっていく。そこには、生と死の境界線に置かれた人間の醜い姿や戦争の悲惨さが浮かび上がってくる。1920年当時のパリを忠実に再現した背景で、繰り広げられることはまさに人間の醜い部分の集合で見ていて悲しくなる。

同情されるためにわざと車椅子を使うというマチルダは、そんな人間の醜さを見てもひたすらマネクが生きていることを信じて自分の道を突き進む。最後の方で、叔母の「今まであなたのことを疑っていて、ごめんなさい」と泣くシーンがある。それでも、マチルダは動じない。ラストがハッピーエンドなのか、違うのかわからないほど悲しい。戦争は、いやだな。複雑な人間関係がわかりにくいが、それを突き抜けて訴えるものは力強い。こういう映画は、傑作なんだと思う。



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