ワンス・アンド・フォーエバー

2005年10月18日 16時46分
2002年公開、メル・ギブソン主演のベトナム戦争初期のアメリカが本格的に介入する契機になったイア・ドランの戦いを描いた戦争映画だ。ベトナム戦争というのは、現在のアメリカでは負の歴史として解釈されているし、社会を疲弊させた功罪は歴史に残る重大さがあった。でも、産軍共同体を化け物のような産業に発展させアメリカの政治に多大な影響を与える結果にもなった。アメリカ人兵士300万人を戦死させた悪夢の戦争の行方は、この映画で描かれているベトコンの敗北から彼らが戦い方を学んた結果であったことは知られていない。わては、近代的な最新の戦法を敵に見せてしまったために、解放戦線側が戦いをゲリラ戦法にしたことが戦争を長引かせ、アメリカを疲弊させた元になったと考えた。この映画は、アメリカ軍万歳の映画ではなくアメリカの敗北の元になった原因を明らかにすると同時に、両軍の家族の描写を両立することによって戦争の悲惨さを浮き彫りにしているのだ。

1950年にベトナム民主共和国は独立を宣言する。ところが、フランスは引き続き影響力を維持するために軍事援助を南ベトナムに続ける。その後フランスが手を引いてから、アメリカが介入する。1963年にケネディー大統領が暗殺され、何の歯止めもなくなるとジョンソン大統領は本格的な軍事介入を決断する。冷戦真っ只中の代理戦争を10年以上に渡って続けることになる。1964年のトンキン湾事件を皮切りに、1965年11月にイア・ドランの戦いで地上軍を本格的に介入させる。

この映画は、ハル・ムーア中佐(メル・ギブソン)とUIPの戦場カメラマンのジョー・ギャロウェイ(バリー・ペッパー)が出版した「We were soldiers」を原作に描かれた実話を元にしている。第7機兵連隊第1大隊が始めて、1965年11月14日から17日まで敵の陣中深く突入する。450人のヘリコプター機動部隊はピストン輸送で、兵員を運ぶ。ところが、相手の解放戦線は2000人の精鋭部隊でアメリカ軍のやってくるのを待ち構えていた。偵察部隊が孤立してしまい、動けなくなってしまう。ムーア中佐たちは、着陸地点から動くことができず、これまた孤立してしまう。

戦死者が次々と出て、本国に電報で家族の元に知らされる。ムーア中佐の妻・ジュリアン(マデリーン・ストー)は、タクシーの運転手が持ってくる電報を運転手の代わりに知り合いの家族に届ける。赤ちゃんが生まれたばかりの家庭にもその電報を届けなければいけない。これは、つらいことだ。

アメリカ軍はヘリコプターのミサイルや、戦闘機の爆撃でベトナム兵を一気に撃破する。人海戦術で、トンネルから出て行って突撃してもことごこくアメリカ兵の前で倒れていく。アメリカ軍も、最終的には4分の3の兵力を失う。でも、ベトナム解放戦線側は、ほとんど全員を失う。アメリカ軍を追い詰めても、空爆によって全滅させられた。ベトナム側のアン中佐(ドン・ズオン)は、正攻法で戦っても勝てないと悟り、ゲリラ戦法を採用するようになるのだ。イア・ドランの戦いでアメリカは一時的な勝利を得たが、自分たちの戦法を見せてしまったので弱点を握られたのだ。

アメリカ・ベトナム両方の家族の悲しみが描かれていて、見ていてむなしくなる。いまだに懲りていないアメリカの考え方は、人間の愚かさそのものか。



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