劒岳 点の記(2008)

公開当時何かの都合で見ることができなかった。昨日テレビ放送されたのを観た。北アルプス立山連峰の劒岳に明治末期に登頂した陸軍測量部の様子を描いた映画だ。1970年代から日本映画のカメラマンとして活躍してきた木村大作が監督しているので、現地でロケをした迫力ある映像が圧巻だ。原作は、新田次郎の同名小説だ。山岳シーンは当時の測量隊が歩んだ行程をそのまま撮影していて、自然の美しさと厳しさを実感できる。

日露戦争が明治38(1905)年に終了して、ロシアから賠償金を取れなかった日本はそれほどの利益を得たわけではない。国際的な地位は非常に高くなったけど、実質的には戦費調達の国債の利息を払い続けていた。旧帝国陸軍としてはなんとしても威信を回復して、大陸進出の勢いが欲しいところだ。そんな時期に、日本地図の三角点が空白状態である立山連峰の劒岳周辺が上層部の目にとまる。別に日本の国内の山奥の一角が空白でも支障はないが、威光という目的から柴崎芳太郎(浅野忠信)陸軍参謀本部陸地測量部測量手に白羽の矢が立つ。

明治39年に一人現地に向かった柴崎は、宇治長次郎(香川照之)を案内人にして下調べをする。日本全国に10万6千箇所もある三角点は、立山連峰の劒岳周辺だけが空白でそれまで人間の登頂を退けていた。現地の村には立山信仰の村もあり、劒岳は死者の山として登ることは禁忌とされていた。一方前年に設立された日本山岳会は、ヨーロッパの近代的な装備をもって未踏峰の劒岳に登ろうとする。新聞社がどちらが先に登頂するかと書きたてる中、陸軍測量部には威信にかけて先に登頂するように命令される。

ところが、測量部の柴崎らは劒岳にアタックするのを最後にして、周辺の三角点の設置から攻めていく。そのやり方が、高地順応に適していて登山技術の向上にもつながっていたとわかるのは最後だった。映画を見ている最中は、なぜ回りくどいやり方をするのかと思っていた。地図を作る上での技術的理由があるのはわかるが、柴崎はそこまで考えていたのだと思う。

日本山岳会の小島(仲村トオル)たちを山行前には仲良くなかったのに、いざ同じ土俵に上がるとわだかまりがなくなる設定がいい。わてが高校時代に少しワンダーフォーゲルをした時期は、山岳会の方が背負っている布製のザックを背負っていた。山で登山者とすれ違うときには、「チワー」と声を掛けた。下界で初登頂が騒ぎになっていることなど、大自然の前にはなんと無意味なことか。

新人の生田(松田龍平)が成長していく様子も、なかなかいいドラマになっている。特に感動するのは、山岳会と陸軍測量隊が小旗信号でエールの交換をするシーンだ。もうそこまで見ていると、誰が一番に登ったことなど関係ないと思える。物語は一見平坦だが、感動するシーンは簡単に見つかる。



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