最後の忠臣蔵

ららぽーと磐田で「最後の忠臣蔵」を見た。池宮彰一郎原作の同名小説を、田中陽造が脚本・杉田成道が監督して映画化された。ワーナーブラザーズのローカルプロダクション作品ということで、お金も時間もスタッフも充分に投入されている。日本人の心に今も残る赤穂浪士の討ち入り事件の後日談という着眼点がすばらしい。討ち入り前夜に大石内蔵助から密命を帯びて逐電した瀬尾孫左衛門(役所広司)と、討ち入りとしても切腹を免れた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)の物語がいい。脚本がすばらしいので、是非映画館で見て欲しいと思う。

映画冒頭に現れるのは、切腹をまぬがれて遺族の行く末を援助する寺坂彦右衛門だ。寺坂は死ぬことを許されず生きることを命じられたもので、堂々と名前を出せる表の顔だ。幕府の詮議の際も切腹はしないことになったのだから。47人もの赤穂浪士の遺族を探し出して援助するのは、並大抵のことではない。16年間ずっと旅をしてきたのだから、偉業だ。

一方、討ち入り前夜に大石内蔵助に命じられて京都に残した妊娠中の女性の保護とその生まれてくる子供の行く末を託された瀬尾孫左衛門は、裏の存在だ。決して名前を知られてはいけないし、生まれてきた赤子にも真実を告げられない。大石の裃(かみしも)を預けられるのは、それを着ていざというときには公の場に出ろということだ。でも、大石家の家紋のついた裃を着るのは、大石の遺児可音(桜庭ななみ)の輿入れのときだけだ。そこまでの段取りができた時だけ、真実を明らかにできる。

人形浄瑠璃「曽根崎心中」が所々に挿入されている演出が、登場人物の心情を語らせていて憎い。茶屋四郎次朗(笈田ヨシ)の息子修一郎(山本耕史)との縁談が持ち上がると、可音は父のように育ててくれた瀬尾と別れたないと言う。それは一種親子の関係でもあり、男女の感情も伺える。主と従者の関係で生きていたのだから、もっともなことだろう。可音と瀬尾の心の揺れ動く様子が大変丁寧に描かれている。

また、近所に住む元島原の太夫だったゆう(安田成美)は、可音の読み書き芸事などの花嫁修業の一切を教えてきた。それはあたかも、自分の娘に接するようなものだっただろう。当然面倒を見ている瀬尾のことも、秘かに思い続ける。可音の成長に伴い、平和な生活は崩れていく。瀬尾には討ち入りの生き残り寺坂との対面があるし、可音には茶屋修一郎という一目ぼれした男性が出現する。

可音が花嫁衣裳を着て、瀬尾に別れを告げて行列で茶屋家を目指すシーンが感動的だ。最初に寺坂が現れて、次々と元赤穂家家臣が同行する。最後には大石内蔵助と袂を分けた奥野将監(田中邦衛)まで登場する。本来ならここで、瀬尾は内蔵助の裃を着て婚礼の儀に出るべきだった。でも、「曽根崎心中」の伏せんが効いてくる。瀬尾が選んだのは、内蔵助と可音の母との心中だったのだろうか。武士としてのけじめだったのか。内蔵助の妻大石りくは全く登場しないけど、二人の子供を成人させて所帯を持たせて尼さんになっている。瀬尾は、死ぬべきではなかったと思う。



同じカテゴリー(2010年映画)の記事
バーレスク
バーレスク(2010-12-20 22:25)

ノルウェイの森
ノルウェイの森(2010-12-13 22:06)

ロビン・フッド
ロビン・フッド(2010-12-11 23:53)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
最後の忠臣蔵
    コメント(0)