キャタピラー

携帯より一言投稿。日中戦争に出征した夫は無事に帰るが、手足を失って胴体だけで戻る。顔半分は火傷でただれ、聴覚を失っていた。つまり、口がきけない。夫を迎えたシゲ子(寺島しのぶ)は、食べて寝るだけの彼の世話をする。夫の要求をなんでも受け入れていた妻は、軍神となった彼の存在に戸惑いや怒りを感じる。夫も妻の反応を見ているうちに、自分が戦地でしてきたことにうなされる。映画が終わりに近くなると、戦争の真の姿が明らかにされる。壮絶な映画だった。監督は、若松孝二だ。

以下パソコンより。久蔵(きゅうぞう:大西信満)が出陣したのは1940年から始まった日中戦争だ。久蔵とシゲ子(寺島しのぶ)は、冬には雪に覆われる山奥の村で結婚したが子供はいない。万歳三唱で送り出された久蔵は、村の若者が出て行く行列と反対方向に軍用車で帰ってくる。あまりのひどい状態にシゲ子は、家を飛び出して田んぼで引き止められる。目だけでしか意志を伝えることができない久蔵は、食欲と性欲だけしか妻に要求しない。

最初は軍神と新聞でも称えられて、勲章を3個ももらった英雄に忠実に従う。あごで妻の体を示して要求したり、口でくわえた鉛筆で「やりたい」と書いて要求する。食べて生きることが性と直結している夫は、そうすることで故郷に帰ってきたことを感じたかったのだ。子供ができないと出征前に殴られて、帰ってきても乱暴されているシゲ子は気分転換させる。軍神である夫をリヤカーに乗せて、村の様子を見て回る。その気分転換は、シゲ子にはプラスに働く。ところが、夫には周辺の視線が現実と過去の違いを認識させる。

村人たちは若者を万歳三唱で戦地に送り、女性たちは大日本婦人会というタスキをかけて竹やり訓練やバケツリレー訓練ばかりしている。ラジオからはいくら戦況が不利になっても、否定的な内容の言葉が出てこない。神国である大日本帝国が、負けるはずがないと信じている。久蔵の生きる糧は、勲章と天皇皇后両陛下の写真と軍神だと報じられた新聞記事だ。この考え方は、最後まで変わらない。久蔵は、中国でやってきた極悪非道の行為が悪夢となって苦しめられる。シゲ子が性欲に応じてくれても、反対に苦しみになってしまう。

一方、シゲ子には戸惑い、毛嫌い、憎しみなどの拒絶の考えから、徐々に食べて寝る(性)ことしかできない夫を受け入れる気持ちに変わっていく。食料不足からまずい食事しかない事態になって、食べるのを拒否する夫に自分も食べて見せる。そして、同じ茶碗から交互に同じ箸で食べるまでになる。シゲ子を演じた寺島しのぶの演技は、まさにベルリン映画祭最優秀女優賞に値する。

8月15日の敗戦がわかると、喜んだのは真に戦争を憎んでいたシゲ子となんとなく居心地の悪さを感じていた精神障害者らしいクマ(篠原勝之)だけだった。シゲ子は久蔵も喜んでいると信じていただろうが、エンディングは悲劇的だ。終戦ではなく敗戦と表示された後、原爆と太平洋戦争と第二次大戦の死者数が出てくる。これは、究極の反戦映画だ。



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