猿の惑星:新世紀(ライジング)

チャールトン・ヘストンの「猿の惑星」をリブートした新シリーズの第2弾だ。前作ではアルツハイマーに対する新薬の開発で飛躍的に知能の発達した猿が団結して人間社会から巣立っていくまでを描いていた。今作ではそれから10年後、猿の英雄シーザーを中心に山の中で文明的な生活を構築しているのに対して、人間は新薬開発の過程で生まれたウィルスで絶滅の危機に陥っている。二つの集団が共存できるのか敵対するしかないのか、猿社会と人間社会それぞれの葛藤が繰り広げられる。猿も人間も同じように苦悩するのが物語に深みを与えている。見応十分だ。

シーザー(アンディ・サーキス)をはじめとする猿の表情や仕草は、全身の動きを最新のモーションキャプチャー技術で映像化している。まるで人間のように喜び、悲しみ、苦悩する。猿の物語と人間の物語が並行して描かれているし、その内容がシンクロしている。シーザーは妻コーネリアとの間に子供を作り、ブルーアイズというやんちゃな息子もいる。コバという将軍は人間にひどい仕打ちをされた経験から、好戦的だ。でもシーザーはなるべく争いをしないで猿社会を守ることを考える。

人間社会でも、マルコム(ジェイソン・クラーク)とエリー(ケリー・ラッセル)を中心に猿との共存を試みる穏健派がいる。一方で、猿を駆逐することこそ人間が生き残る方法だと考えるドレイファス(ゲイリー・オールドマン)を中心にした考えの人々もいる。穏健派は猿のコロニーのある山にあるダムを使って、水力発電をさせてもらおうと山に向かう。でも、最初は拒絶されて受け入れられない。もう一度出なおして、ダムから電力を供給することに成功する。でも、人間の中には着々を武器の整備をするものもいた。

シーザーと敵対するコバたちは、人間の住む場所まで偵察に出かけて調べる。すると、人間たちが武器の準備をしており、自分たちは攻め込まれると恐れる。コバたちは自動小銃を持ち帰り、シーザーに人間が武装している証拠を見せる。そして、マルコムたちとシーザーがいる場面で、シーザーを撃ち人間の仕業だと思い込ませて戦争へと誘導する。この手法はどこかの大国がテロの疑いで他国に戦争を仕掛けたのとそっくりだ。

銃を使い馬にも乗ることができる猿たちは、西部劇のカウボーイのようなものだ。立てこもる人間たちはとてもかなわないで、閉じ込められてしまう。でも山に残っていたマルコムたちはシーザーが負傷しただけで死んでいなかったので、治療して戦争を止めようとする。シーザーは特に子供の頃人間に育てられたので、人間的な考え方もできる。全面戦争だけは回避できるけど、二つの種族はまた別れ別れになる。なんとも切ない物語だった。

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