運命のボタン

リチャード・マシスンが1970年に発表した短編小説を、リチャード・ケリーが監督・脚本・製作を担当して映画化した。キャメロン・ディアス主演で展開される全くおかしい話だ。アメリカの火星探査が成功した1976年という設定で、NASAの研究所はヴァージニア州ラングレイにある。なんの仕掛けもない箱の上にある赤いボタンを押すと、100万ドルが手に入り代償として知らない人間が死ぬという。そんな条件が決まっていたのに、最終的には因果応報のエンディングが待っている。わては、見ていて気分が悪くなった。

1976年当時の円相場は360円のレートが変動性に移り、オイルショックを経て300円くらいだった。77~78年には200円くらいにもなっている。100万ドルを当時のレートでは3億円になるけど、相対的な考えでは映画の公式ホームページにあるように1億円程度と考えても妥当なのだ。為替の問題を考えないと、庶民の普通の生活が数十年できるお金だと思う。

ノーマ・ルイス(キャメロン・ディアス)とアーサー(ジェームズ・マースデン)は、それほど収入が多くないが郊外の一戸建てに住んでいて小学生の長男ウォルター(サム・オズ・ストーン)がいた。ある日の明け方に何者かがやってきて、ダンボール箱をドアの前に置いていく。中を明けてみると、翌日の夕方5時にスチュアード(フランク・ランジェラ)が説明に来るという。

夫婦二人で待っていると、時間通りにスチュアードが来る。そして、その箱の上にある赤いボタンを押すと、100万ドルを手に入れることができる。でも、代償として見知らぬどこかの人間が死ぬ。また、スチュアード自身の正体や他人に漏らしたりしてはいけないと言われる。期限は24時間だと区切られる。悪いことに、NASAに勤めるアーサーは宇宙飛行士の選考からはずれ、教師をしているノーマは学費割引を外される。

生活が苦しくなって、ノーマはボタンを押してしまう。哲学者の言葉が出てきたり、ことわざが出てきたりして人間の本性に迫るのかと最初は思った。でも、最終的には人間の力の及ばない存在の影響によって、物語が進んでしまう。確かに、平和ボケしている現代人が少しの贅沢をするために、途上国の人々を搾取する仕組みがある。現代的な不条理に通じるかとも思ったが、わてには共感できなかった。

スチュアードの存在や彼の正体不明の雇い主は、人間を自由に操作できるのだ。これは反則だろう。瞬間移動も出てくるし、見知らぬ誰かが死ぬという前提は簡単に破られる。映画を見たあとに、製作者に圧倒された感じがなかった。こういう映画は、伏せんを探るとかいう楽しみもない。わては、困ってしまった。



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