アンナ・カレーニナ

ヴィヴィアン・りー版1948年公開を10年前に見ていることも忘れて、今作品を最初から見た。トルストイの原作も読んでいるので、概略はわかっていた。アカデミー賞衣装賞を獲得しただけにロシアの帝政時代の貴族の豪華な暮らしぶりが実感できる。予算を節約するためなのか、舞台劇を取り込んだ演出が斬新だ。キーラ・ナイトレイのくっきりした目鼻立ちが感情の起伏をよく表現できている。社交界から追われて絶望に落ちていく様子と大地に足をつけて実直に生きる妹との対比が、悲しい。

女優になったら一度は演じてみたいのが「アンナ・カレーニナ」らしい。貴族社会の頂点にいて何不自由ない暮らしをしているのに、愛が足りないと思っている。お金も地位もなくて、麦を刈り取るだけしか仕事がない。明日も生きているかわからない。そんな人間たちからかけ離れ恵まれた生活をしているのに、満たされていない。夫カレーニン(ジュード・ロウ)は政府高官で上にいるのは国王ぐらいしかいない。一人息子にも恵まれているけど、ときめきがないと不満を持っている。

兄嫁の妹キティ(アリシア・ヴィキャンデル)がリョーヴィン(ドーナル・グリーソン)から求婚されても、断り青年将校ヴロンスキー(アーロン・テイラー=ジョンソン)に片思いをしている。ところが、ヴロンスキーは夫も子供のいるアンナ・カレーニナ(キーラ・ナイトレイ)を好きになってしまう。出会った瞬間両者は惹かれあうが、アンナは自制する。ところが、ヴロンスキーは追いかけていくアンナに求愛する。

アンナとヴロンスキーは、坂を転がり落ちるように幸福な環境から破滅へ入っていく。愛が燃え上がりアンナが妊娠すると、ますます周囲の反感を買うようになる。夫からは社会的地位を汚さないように、離婚もできないし不倫を認めることもできないと告げられる。そうなると、アンナはお金も社交界での地位もありながら、檻の中に閉じ込められた鳥みたいだ。それに対して、リョーヴィンは農民たちと汗を流して大地に足をつけて生きている。

リョーヴィンとキティは、時間を置いて気持ちを確かめ合い結ばれる。アンナは自分の情熱に忠実すぎて、生きる道を失ってしまう。ロシア帝政は革命によって崩壊する。その崩壊前の花火のような美しさを彼らの生き様から感じた。原作小説を知らない方は是非読んで欲しい。または、この映画を見て色々感じ取って欲しい。舞台形式の演出は大変にお金をかけた贅沢なものだと思う。

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