グラン・トリノ

1930年5月31日生まれのクリント・イーストウッドは、高校卒業後陸軍に入隊している。朝鮮戦争が1950年から1953年までの3年間続いたことを照らし合わせると、彼本人がこの映画の主人公と同じ年代であることがわかる。これは、映画を見ている最中には思いもよらなかったことだ。彼自身が監督・製作を行うのはまだあるだろうが、主演(出演)するのはこれが最後だという。79歳か80歳くらいの頑固爺が、ミシガン州デトロイトにこの映画のような状況で存在している可能性は高い。

朝鮮戦争から帰還したウォルト・コワルスキー(イーストウッド)は、20代前半から約40年フォードの工場で働いた。1990年前半にリタイアした彼は、デトロイトで妻といっしょに暮らしていた。ベトナム戦争のときには、好景気で仕事に生きがいを見出していただろう。そのベトナム戦争で、アメリカに味方をした東南アジアの山岳民族であるモン族の家族と知り合いになる。彼らはアメリカの利益のために犠牲になった典型的な人々だ。そのモン族の若者の未来のために、このような映画を作ったのはアメリカの贖罪の意味もあったと思う。

また、あのようなエンディングにしたのは、隣に住むモン族の少年タオ(ビー・ヴァン)と少女スー(アーニー・ハー)の未来のためだ。自分の子供の教育は妻に任せて、仕事しかやってこなかった。そんな男が、愛すべき隣人に出会い「頭でっかちの童貞」神父に懺悔をする。そして、自分の体が癌におかされて余命が短いことを知り、隣人が安心して未来に向かって生きることができるようにした。まさに、強き男の死に際としては格好よすぎるのだ。全く、見終わったあともすばらしい余韻の残る傑作を残してくれた。

映画の冒頭で妻が亡くなり、葬式が行われている。二人の子供(長男・次男)は共に家庭を持ち、それぞれ子供も二人いた。頑固一徹だった彼は、妻を亡くすと子供との関係作りに失敗したことに気がついた。孫たちは良識をわきまえず、葬式の席なのにくだけた格好のまま出席していた。ウォルトは、それらの目に入ることすべてに怒っていた。

長男のミッチ(ブライアン・ヘイリー)は車のセールスマンをしていたが、なんとトヨタの車を売りランクルに乗っていた。妻の葬式が終わり子供たちが帰ると、愛犬デイジーを飼い自分が1972年に作ったグラン・トリノを磨くだけの生活に戻る。そんなある日、隣人のモン族の一家と親しくなる。イエローモンキーと馬鹿にしていたが、話をしてみると打ち解ける。

特に父親のいないタオには、仕事をすることと真の男の姿を身を持って教える。不良グループからグラン・トリノを盗むように強制されたタオを助けることになった彼は、タオらの家族と不良グループの決別にも力を貸すことになる。タオが、仕事を覚え女性をデートに誘うまでになる過程は、ほんとうに楽しい。

でも、タオやスーと知り合うきっかけが、問題を生む付箋になっている。最初タオは黒人グループに難癖をつけられていたが、従兄弟のスパイダーが所属する東洋系のグループに助けられる。そこで、タオはウォルトのグラン・トリノというクラシックカーを盗むようにそそのかされる。ウォルトがM-1ライフルで脅かして、タオを救う。でも、暴力で暴力を抑える方法では、何も解決しないことをウォルトは戦争体験で知っていた。

ウォルトが最後にタバコの火をつけようとしたライターには、確か騎兵隊第一中隊のマークがついていた。その騎兵隊第一中隊はベトナム戦争を題材にした「地獄の黙示録」にも登場するし、ジョン・ウェイン主演の「リオ・グランデの砦」にも登場する。わては、家族を疎遠にしたヨーク中佐(ジョン・ウェイン)と士官学校を退学して新兵としてやってきた息子が活躍する「リオ・グランデの砦」の由来だと思いたい。



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