ホッタラケの島 遥と魔法の鏡

埼玉県入間市にある出雲祝神社の中にあるハタヤの稲荷に伝わる民間伝承をもとに、人間の女子高生とキツネの冒険を描いたファンタジーアニメーションだ。その稲荷神社には、人々がなくしたものがあって困ったとき卵や油揚げを備えるとそれが見つかるという伝承があった。それをもとに、フジテレビ50周年とプロダクションIGや他のアニメクリエーターが集結して製作した立体感があるアニメになっている。

人々が古くなっていらなくなったものを放置しておくと、狐さんたちが集めて持っていくという物語がその神社に伝わっていた。日本人は新しいものが好きだし、物をどんどんためてしまうのは嫌われる傾向もある。別に物を粗末にしているわけではないが、子供のころ遊んだおもちゃは誰もが忘れてしまうものだ。この映画では、そんな忘れられた物の気持ちが語られている。

また、この映画の優れた点は子供向けの内容でありながら、高校生くらいの子供を持った大人にとっても見る価値のあるものになっている。大人になると子供のことを考えない親はいないが、高校生くらいの子供は親の想いを想像することが難しい。特に娘と父の場合は、仕事熱心になってしまい子供との会話が少なくなる。親の世代が見ても、子供の気持ちがわかるいい機会になるだろう。そして、自分たちが子供のころ粗末にした思い出を思い起こすかもしれない。

そして、人間が忘れて放置したもので世界を作っている「ホッタラケの島」の住人たちは、人間と区分けされた世界にいる以上秩序が保たれていた。ところが、幼いころに母を亡くして、父と二人暮らしをしている高校生の遥(綾瀬はるか)は、父の気持ちが理解できなくなっていた。ある日、父とすれ違いの会話をした後、祖母のいる武蔵野の神社に行く。子供のころ遊んだ記憶があるので、母のことを思い出しながら夕暮れになる。

神社で遊んでいた子供たちが、ゴム動力の飛行機をそのままにして帰ってしまう。ほったらかしにされた飛行機は、狐さんがソロソロと運んで持っていくシーンを遥が目撃する。そして、大きな岩のもとにある水たまりに手を触れた瞬間、遥は「ホッタラケの島」の別世界に入り込む。飛行機を持っていったテオ(沢城みゆき)という狐のリヤカーにもぐりこんだ遥は、テオといっしょにその世界での冒険を開始する。

テオにしてみれば、連れてきてはいけない人間を他の仲間に見つからないようにしないといけない。また、その世界の支配者である男爵は、遥の探している母にもらった手鏡を使って野望を果たそうとしていた。そこで男爵は、テオに近づいて手鏡の持ち主である遥を連れて来いと命令する。

映画の冒頭で紹介される昔話では、お百姓さんがなくした母の形見である櫛を狐さんが返してくれる。だから、この映画でも遥のなくした母からの贈り物の手鏡は戻るので安心してほしい。ただ、「ホッタラケの島」の世界感は、先に公開された「サマーウォーズ」のセカンドライフに似ていて、人間の現実世界の裏側のようなものだと思った。セカンドライフよりも、一つの世界として独立していて作り手の工夫が感じられた。

それぞれのキャラクターの動きをわざとぎこちなくしているし、ゲーム画面のような無機質なものでもない。登場人物や動物たちにぬくもりがあるし、アクションシーンでは非常にダイナミックだ。技術的には、相当高いレベルの挑戦が行われたのだろう。なかなかの秀作だと感じた。公式ホームページのほかに、入間市との共同サイトもある。



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