コクリコ坂から

1980年に「なかよし」に連載された同名漫画を、1963年の横浜を舞台に描いた高校生が主人公のアニメ映画だ。監督は宮崎吾郎で、企画は宮崎駿だ。本作はお釜で炊いたご飯や洗濯機の絞り機が手回しのロールだったことを覚えている、中高年向けの内容だと思う。その時代の記憶がない人には、当時の風俗が全く共感できないかもしれない。ガリ版で印刷物を作り、肉屋や魚屋で食品を買ったことがあれば当時のことを思い出せる。若い方でもそのような生活風景が想像できるなら、この映画のしみじみした味わいがわかるだろう。

まだ首都高速が建設中で、東京オリンピックの前年だ。朝鮮戦争(1950~53)時の機雷による沈没事故は実際に起きており、その頃生まれた子供達が主人公の松崎海(長澤まさみ)や風間俊(岡田准一)のように父親を亡くしたケースもあっただろう。その子供達が高校生になるころはちょうど高度成長時代だ。古いものを壊して新しいものを建設して、活気が溢れていた。海が通っている高校にある文化部の建物カルチュラタンは、その古いものの象徴だ。高校生がその古いものを保存してこそ、新しいものも見えてくると主張する。でもその考え方は、現代人のものだと思う。それも、大人たちの考え方だ。

海と俊はある出来事がきっかけで仲良くなるけど、父親が同じではないかという疑念が出てくる。海の父親は朝鮮戦争の機雷事故で亡くなったことになっている。海の兄弟は三人いて一番下が弟であるらしいことがわかる。父の学生時代の写真が海の持っているものと同じだとわかった俊は、詳細を調べようとする。最初は二人の間が気まづくなる。でも、カルチュラタンの保存のために、海が提案した大掃除と改修作戦が進展すると二人の中がほぐれてくる。

学園の理事長に直談判しようということになり、海と俊と生徒会長の水沼(風間俊介)が東京に向かう。すると、その理事長が実際にカルチェラタンを見に来てくれることになる。若者の情熱が大人を動かしたのだ。呼応するように、俊のことをよく知る貨物船の船長が横浜の港にいることがわかる。二人の父親がどうだったのかは、映画館で確かめて欲しい。

朝鮮戦争や太平洋戦争で親を亡くした子供を知り合いの大人が自分の子供として育てることは、よくあった。そんな古い価値観を受け入れつつ、新しい現実にも直面するのはいつの時代も同じなのだ。いまや食品を購入するのはスーパーマーケットであり、印刷物を作るのはパソコンだ。時代は変わっても、人と人のつながりだけは大切にしたいとこの映画を見て思った。昔はよかったと懐かしく思うだけではなく、新しいシステムになっても変わらないものがあるのだ。



同じカテゴリー(2011年映画)の記事
トロン:レガシー
トロン:レガシー(2018-10-16 14:01)

リアル・スティール
リアル・スティール(2011-12-12 00:13)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
コクリコ坂から
    コメント(0)