真田丸44回「築城」、真田丸のあったと言われている場所の地図もあるよ

真田丸44回「築城」を見ている。

浪人衆5名の合議で籠城に決まった。

南側に弱点がある。そこに出城を作ると幸村が言い出す。

堀田作兵衛が大坂に来た。源三郎様は江戸に残りました。

子供たちが来ました。

平野口に出城を作りたいと幸村が大野に言う。もう一人言い出した人間がいる。

後藤又兵衛と幸村が話を始める。勝てる出城を作るから、私に譲って欲しい。

後藤又兵衛を説得して真田が作ることになる。

要所を守るのが浪人たちだけになっている。真田丸の左衛門のスケこそ、怪しいと言い出す。

北政所に直接言ってみる。幸村だけ許すと言うが、違う方法を考えると言う。

大野治長が秀頼に内緒で出城を作れと許してくれる。

秀忠がまっさきに駆けつけるが、家康は「考えが甘い」と叱る。「お主は将軍だからもっとゆっくりと来ればいい。」

全国から軍勢が集まってくる。

姉は徳川の陣に入る。踊り子として徳川側に入り、子供たちに面会する。そして「真田同士で争ってはならぬ」と父から伝言を伝える。弟は承服しない。信之は江戸で過去を振り返っている。妻に内緒で九度山に援助を送った。

心が穏やかになる香を信之の前で出してくれる。

真田が裏切ることはありません。

出城に秀頼がやってくる。「豊臣を見捨てぬ」と幸村が言ったのを聞いていて、秀頼が出城を許すと言う。

秀頼が北政所を説得する。浪人たちの力を借りないと我らの負けですと言う。

住吉の陣には伊達や上杉、真田兄弟がいた。家康が「よくぞ来てくれた。世の安寧を脅かす不埒のものたちを成敗する。」と高らかに言う。

赤備えの鎧が出来上がる。

関ヶ原の戦いの経験者が豊臣側には多いが、徳川側には戦いの経験者が少ない。

城内から文が届いた。出城を守るのが真田幸村と知って、家康は顔を歪める。

真田丸には六文銭の旗が掲げられる。いよいよ、次回は冬の陣でしょう。

次回の題名は「完封」です。城内から徳川に文が届いているということは、内通者がいるのか。

心眼寺が真田丸があったという場所。三光神社もある。

心眼寺の地図


三光神社の地図


玉造を応援する情報サイト参照。このサイトによると、古地図などを参照すると、ものすごく真田丸が大きかったらしいとわかる。



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